一方通行トライアングル

映画は、話題の新作を見た。ストーリーより派手なアクションが見もののアメリカ映画。女子だったらいまいち受けが悪いかもしれないが、友沢は喜んだ。自分のチョイスが友沢に合っていたと思うと鈴木は嬉しかった。

甘いものより酒が好きな二人は、ちょっと早いか、と言いながらも居酒屋へ向かった。駅前の、いくつか並んだ看板メニューを見ながら、友沢はこの店のつくねがうまそうと笑う。その笑顔に鈴木の鼓動が跳ねる。

「個室とカウンターがありますけど、どちらになさいますかぁ?」

店員の問いかけに、思わず顔をうつむかせてしまった。

「カウ……」

「あ、個室でお願いします」

言いかけた鈴木を制し、友沢がにっと笑った。

「気兼ねなく、ゆっくりしゃべれるじゃないっすか」

男二人で個室なんて、「変」じゃないだろうか。友沢は嫌じゃないんだろうか。気にはなったが、聞けなかった。

「変」という単語は好きじゃない。けれど、友沢は変だと思っているし、それがこの世の中では一般的な常識なのだろう。

考え過ぎかもしれない。LGBTという言葉も徐々に浸透してきているのだから、偏見も薄れてきていると言えるかもしれない。けれど、やはり男同士は変、なのだ。そう思っておく方がいい。これは鈴木にとってある種の防護壁、つまりバリアーだった。言われて傷つくより、自分から認めてしまった方が傷つかないから。

席に着き、店員が水とおしぼりを置いて去る。おしぼりで手を拭きつつ、メニューを開く友沢をそっと見つめる。ワックスで毛先を遊ばせた茶髪。外回りで日焼けした肌。でも荒れてはいないようだ。顔にある小さなほくろ。耳は小さめ。耳たぶは薄そうだ。Tシャツの襟から覗く鎖骨まで目をやって、鈴木ははっと我に返った。

――見過ぎだ。

映画館でも隣に座って緊張した。距離が近すぎにならないように気は使ったが、嬉しくて暗闇の中で何度か友沢を見てしまった。頬が緩むのを止められなかった。今も、こうして二人でゆっくり飲めるのが嬉しくてしょうがない。社内で単なる先輩の振りをするのは出来たけれど、今日はどうにも難しい。自分は、うまくやれただろうか。距離感は大丈夫だっただろうか。男同士で歩いていて、不自然じゃなくふるまえただろうか。周りの人は、俺たちをどう見ていただろうか。特に何も気にせず、男友達だと思ってくれていればいいが。友沢が嫌がってなければいいけど。

「どうしたんすか、先輩」

「えっ」

「いや、なんか……」

様子がおかしい、と言うのはためらった。好きな相手と二人きりで食事するのが嬉しいのだろうと見当がついたからだ。そうだ。鈴木は自分のことが好きなんだった。普通に友達と映画を見て、食事に来た気でいた。鈴木に「思い出」を作ってあげようとしていたことは、すっかり忘れていた。

「なんでもないっす。あ、これウマそう! さっきの看板のつくねですよね」

メニューを指差すと、鈴木も確認してうなずく。

「俺も食べよう。黄身をつけて食べるの、ウマそうだよな」

「ですよね。あとは枝豆と……ピリ辛こんにゃくもいいなあ。酒は、やっぱ生で!」

「俺はどうしようかな、うーん、まあ俺もビールにしとくかな」

「食いものは?」

「まだそれほど腹減ってないし、いいや、ビールあれば」

「オッケーです! ……すんませーん!」

扉を少し開けて、店員を呼ぶ。

デート、という空気感ではない。当然だ。それでも鈴木はこの上なく幸せだった。時折、何でもない瞬間に胸がじんわりと暖かくなる。ビールを飲んで、ぷはーっと口の端に泡をつけたまま笑う友沢を見られて、本当に嬉しかった。

「でもあのヒロインはちょっと押しすぎですよね」

「友沢もそう思った?」

「思いますよー!」

「あんなゴリゴリ来られたらちょっと引くよな」

「ですよね。惚れられるのはいいけど、怖いですよ。勢いが」

「そうそう」

「なんていうか、自分が好きだって気持ちばっかでこっちの気持ちがついてかないっていうか」

「『ちょっと待て、俺の話も聞け』ってならねえ?」

「それ! それです。好きなのは分かったけど、嬉しいけど、ちょっと待ってっていう。……あーでも自分が惚れた場合はって考えるとなあ。俺もついつい押しまくって失敗するパターンだしなあ」

――俺もだよ。失敗したよ、お前相手に。

口には出せない。気づかせてはいけない。しょうがねぇなあ、友沢は……と笑い飛ばす。幸い、友沢は気に留めていないようだ。映画の話に戻って、笑ったり、感動したり。覚えているセリフやちょっとした場面の小さなところが同じだと嬉しくなる。観察眼があると褒めると照れ笑いを浮かべる友沢。ときめく鈴木だが、小さく笑うにとどめて、極力表情に出さないようにする。気をつけていないと感情に歯止めが利かなくなりそうだった。

「もう一杯生ビールにしよかな。先輩、次どうします?」

「あ、俺は……ウーロン茶で」

信じられないといった顔で友沢が目を丸くする。

「なんでぇ! え、先輩お酒飲む人ですよね。なんで? そんな、じゃあ俺もやめた方がいいですか」

慌てたような友沢に、鈴木は思わず大きく手を振った。

「いや、違う、いいよお前は飲めよ。今日は俺のおごり。好きなだけ飲んでいい」

「えー……先輩はあ? 俺一人で飲むんすか」

一転、しょんぼりして見せるので鈴木は頭をかいた。

「酒は好きだけどさ。今日はあんまり酔いたくないんだよ」

理性を保つためにブレーキをかけておかないとならないし、既に脈拍が早いのに、酒を飲んだらどうなってしまうか不安だった。だが、つまらなそうな顔の友沢を見て、思い直す。

「でもまあ……やっぱ飲むか」

友沢の顔が、ぱっと嬉しそうになる。サイダーの泡が弾けるように爽やかな笑顔。友沢のこの笑顔が、鈴木は大好きだった。明るく、華やかに、目を細めて笑う友沢が、好きで好きでたまらない。飲みましょうね、絶対ですよと念を押す友沢に、分かったよと苦笑して、鈴木はジョッキを追加で注文した。

「仕事はどうだ?」

「ははは、先輩、お父さんみたいー」

酒の回った友沢は赤くなった頬をゆるめている。隙が出来て、ちょっと子供っぽいところがまた可愛い。

「そうっすねー、楽しいばっかじゃないですけど、そりゃあ。でも、うん、色んな人がいて、経験すればするほどなんていうか……勉強になるっていうかぁ」

「そっか」

ぐいっとジョッキをあおると、友沢がふと真面目な顔になった。

「先輩、信じてます? 俺、勉強するんすよ?」

「分かってるって」

「営業はぁ、相手のことを調べるのが大事なんすよ。だから色んな人と知り合って、色々勉強して、俺はぁ、仕事をぉ、頑張ってるわけですよ!」

――酔ってるな。

懸命に話していた友沢が突然、なんだかしょんぼりとしたようすで、視線を机に落とす。鈴木は怪訝な顔で首をかしげた。

「だからぁ……先輩のこともちょっと調べたんですけどねえ……」

「俺のこと?」

「仕事じゃないけど、癖になってるし。やっぱ知らないことたくさんあるしと思って。てか俺ぇ、知らないでひどいこと言ったよなって思って。そのぉ、こないだ……」

言葉を濁す様子で、ピンと来た。

――ゲイだってこと、か。

「でも、ネットの情報色々ありすぎて……全然分かんなくなっちゃったっす」

「いいよ、俺のことなんか」

つい声に淋しさがこもってしまった。友沢が気付かないといい。相手は唇を尖らせてどこか不満げな顔をしている。

「気にしてくれてありがとな。……もう一杯飲むか」

友沢がうなずくのを見て、酒を追加注文する。楽しいことだけを考えようぜと、鈴木は苦手な笑顔を作って見せた。

「うち、寄ってきますー?」

「えっ」

「飲み始めたの、結構早かったですよねー。まだ終電まで余裕じゃないっすか」

「いや、でも」

「先輩は俺のこと襲ったりしないって信じてるしー」

足元は確かなようだが、酔っているのは間違いないだろう。

「友沢、声が大きいよ」

「やっだなあ! 先輩、冗談っすよ、ジョーダン!」

肩を叩く力にも加減がない。酔った友沢を心配して、マンション近くまで送ってきたが、まさか誘われるなんて思わなかった。一段と酔いを深めた友沢は魅力的だ。襲っていいなら我慢なんかしない。

――って、そんな関係じゃないから!

脳内で自分に突っ込んだところで、友沢にエレベーターへ引っ張り込まれた。

「コーヒーくらい淹れますから! 俺ね、結構好きなんすよ、コーヒー。会社のなんかまっずくって飲めたもんじゃないっすからね、俺の特別製をごちそうしますよ、ね! せんぱぁい!」

狭いエレベーターで二人きり。必死で抑制に努め、友沢に導かれて部屋へ入った。友沢の住んでいる部屋を見たかったというのも本当のところだ。

「どーぞ! 狭すぎて申し訳ないすけど」

――ああ、可愛い。

今日は、会社では決して見られない友沢が何度も見られた。そのすべてを覚えておきたい鈴木だった。

「あー! 朝出かけたまんまだったわーすれーてーたーぁ」

友沢が、やけに楽しそうに言いつつ、床に散らかっている服を拾い集めている。どれを着ていこうと悩んだりしてくれたのだろうか。そんなことも、嬉しい。

「いいよ、気にすんな」

「すんません! 今すぐ片づけますから!」

友沢は部屋を片づけて周りながら、恥ずかしそうに笑う。布団を外したこたつ机の上には使ったままのマグカップ、雑誌、ヘアブラシ。その横に置いてあるコンビニの袋には恐らく食べ終わった弁当の容器が入っていて、捨てられるように結んである。確かに、片づいているとは言えない部屋だが、鈴木はありのままの友沢が見られて満足だった。

「やー、こんな散らかった部屋じゃ彼女いないってバレバレ」

ようやく落ち着いた部屋で、酔いがさめてきた風の友沢が放った言葉に、鈴木はどきんとした。

――そうだ、そうだよな。友沢ならいても当然なのに、全然考えてなかった。

「彼女、いないのか」

恐る恐る聞いているのがばれなければいいがと思いつつ尋ねる。

「いないっすよー」

「嘘だろ。なんで」

「なんでって、え、別にそんな、おかしかないでしょ」

「いやおかしい。友沢はいつも明るいし、みんなと仲良いし、色んな人の心掴んでそうだし、話題も豊富だし、それに」

「や、ちょ、先輩褒めすぎっすよ」

「いや本当に。俺にはないものたくさん持ってて、すごいって思ってる。惹かれない女の子なんていないだろ」

「どんだけですか」

大げさですよと笑う友沢は、鈴木にとっては眩しく見える。

「買いかぶってるわけじゃなくて。いや例えそうだとして、話を差し引いて考えても、友沢みたいないいやつに彼女いないなんて」

友沢はいやぁとかなんとか言いながら照れくさそうに笑った。しつこかったかと気をもんだが、どうやらまんざらでもなさそうだ。それなら良かったと胸をなでおろす。

「そっか、でも、彼女はいないんだな」

「なんすかー、ホッとした顔して、もお」

「い、いや……はは」

笑って誤魔化す。

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