「お前のこと、嫌いなわけじゃないんだ」
口から勝手に言葉が飛び出す。
――言っちまった。まあいいか。もう。
「辛そうだったからさ。ああでも言わなきゃ諦めないかと思って言ったけど、結局、意味なかったみたいだしな」
一ノ瀬は無言で苦笑している。けれどその顔は、前ほど痛々しくはない。
「……今更な、何もなかったように接するなんて、やっぱり無理だ」
そう言った宮田は、一ノ瀬がずっと見たかった自然な笑顔だった。それが久々すぎて、嬉しくて、一ノ瀬は胸がどきどきした。
――これが、好き、ってことなんだろうな。
「一ノ瀬、俺、ずっと聞きたかったんだ」
意を決したように、宮田が口を開いた。
「お前さ……俺と、どうなりたいの」
「えっ」
いきなり、核心を突いた質問。一ノ瀬は驚きで目を見開いたまま、答えに窮してしまった。宮田の表情からは、その感情を汲み取ることができない。
「どう、って……いやその……考えたことないっす」
「嘘つけ」
速攻でばれた嘘に、一ノ瀬はぐうの音も出ない。そりゃあ嘘に決まっている。今までどれだけ考えたことか。でも、答えが出なかった。それは嘘じゃない。
「どうなりたいとか……分からないんすよ。本当に。会いたいって思ったり、声が聞きたかったり、あとは、まあその、きっ、キスしたかったりとか」
「他は」
「んな、冷静に聞かないでください」
「男のことが好きって、どういう感じか分からないからさ」
「違いますって!」
思わず大きな声が出た。
「俺は普通です! 女子が好きです、ふつーに! ただ……先生は特別、っていうか……だから、先生が笑ってるの見ると、こう、胸がぎゅーっとなって」
「今どきの高校生にしちゃ純情すぎんだろ」
「ほっといてください」
「分からねえなあ。男なのに、なんで好きなのか。なんなんだ? 俺の何がいいんだ?」
独り言のように繰り出される質問に、一ノ瀬は下唇を突き出すようにしながら首を傾げた。自分だって、ずっと悩んでいる。憧れや尊敬と、何が違うのか。なんで、宮田なのかと。
「……わかんねっす」
「お前な」
「でも、そういうもんじゃないっすか。理屈じゃない、ってゆーか」
考えても考えても答えが出ないなら、答えを求めようとしても仕方ないのかもしれない。言葉で説明できるようなものじゃないのかもしれない。
「俺、何人か女子と付き合ってたことあったじゃないっすか。あの時、俺、試してたんすよね」
「試す?」
「んー、上手く言えないんすけど。この子をマジで好きになれるのか……みたいな? 付き合おうと思う子は、もちろん好きなんすよ。どうでもいい子に声かけたわけじゃないし、さすがにそんな失礼なことはしてないっす。でも、付き合っても、キスしても……あとまあ、エッチしても。そりゃ、ドキドキゼロってことはないけど、でも……なんての、胸が締め付けられるみたいなのはなくって。別れる時も、別に辛くないし。ああやっぱ別に好きじゃなかったんだなーって思っちゃうんですよね」
「そっか……」
「女の子たちには悪かったって思ってます。……吉沢にも。でも本気になれないって分かったから、俺は吹っ切れたんですよね。先生のことが好きなのかどうかとか、もう、よく分からないっす。ただ、とにかくドキドキしちゃうし。キスしたいとかも、思うし。ていうか、見てるだけで死にそう」
「なんだそれ」
「こうやって話してても、手に汗かいちゃうもん……ほら」
一ノ瀬が握りしめていたこぶしを開いて見せる。手のひらに触れると、確かにじっとりと汗ばんでいた。
「緊張っていうか、分かんないけど、先生を見てるだけでも息が出来なくなって、苦しいんす」
自分でも、これが好きという感情なのかどうか、良く分からない。ただ、宮田が笑っていると嬉しい。嫌われていると思うと泣きたくなる。
「俺は、バスケが好きでさ」
感情を整理できずにいる一ノ瀬に、宮田が語りかける。
「どんなきつい練習も、仲間と一緒に勝つためならやれた。俺の青春はバスケ一色。大学でもそう。今も、就職はしたけど、バスケ部のコーチになれたし……仕事は別にして、毎日バスケのことばっかり考えてるよ。それで彼女と別れたこともある。でもお前は、違うんだよな」
先生の方がバスケより大事だと言ったらがっかりされる。嫌われるかもしれない。でも。
「バスケやってるのは、先生に会えるからです」
正直に告白する。宮田に嘘はつけない。
――あーあ、残念、て思われちまうな。
「……羨ましい」
「へ?」
予想外の答え。宮田は大きく息をついた。
「そんな風に人を好きになったこと、ねぇよ」
今日は、宮田の意外な面をいくつも見ている。
――先生が弱音を吐いたり、俺なんかを羨ましがったり……なんかちょっと嬉しいかも。
「ああもうこんな時間か。お前、部屋戻れよ。俺も見回りしないと」
宮田は壁に掛けられた時計に目をやり、慌てたように口にする。一ノ瀬もそれにつられて部屋を出ようとした。その背中に宮田が声をかける。
「今日は助かった。ありがとな」
振り返る一ノ瀬の目に、どこか恥ずかし気に笑う宮田が映る。一ノ瀬の鼓動が跳ね上がった。
「せんせ……」
思わず駆け戻り、宮田を抱きしめそうになった。が、宮田は両手を挙げてそれを止める。
「おいっ!」
「あっ、すんません!」
怒られて、反射的に止まる。けれど、唇をかんだ一ノ瀬はその場から去ることができなかった。
「そういうことするな」
「はい……」
宮田に叱られると勢いそがれて落ち込む一ノ瀬である。途端に肩を落としてしゅんとする一ノ瀬を見ると、どうにも憐憫の情が湧いてしまう。
「お前、実家で飼ってた犬みたいだわ」
「犬って……」
「レノンて名前のゴールデンレトリーバーでな。もう死んじゃったんだけど、いつも俺が家に帰ると前足を肩に乗っけて顔をべろべろ舐めようとしてさ。俺がやめろって言っても尻尾振って……懐かしいな」
「俺、犬すか」
「ちょっと似てる。でもお前はレノンより賢いよ。やめろって言ったらやめるもんな」
「人間すから」
わざとらしく不満げな顔で横を向く一ノ瀬である。宮田は大きく息を吐くと、その頭をくしゃっと撫でた。
「今度、なんかお礼しなきゃな」
「えっ! マジすか!」
一ノ瀬の顔が一気に明るくなる。
「マジ。……お前、本当に分かりやすいやつだな」
軽く握ったこぶしを口に当て、宮田はくすくすと笑いをこらえた。ずっと考えないように、見ないようにしていた宮田の仕草、表情。触られた頭から、目にする姿から、宮田に対する感情が全身に広がって、どうしようもなく熱くなる。バスケをどれだけやっても得られない熱さだった。やはり自分はこの人が好きなのだと痛いほど知らされる。
「いつもお前らが寄ってるラーメン屋、大青軒か。あそこはさすがにまずいよなー。どっかちょっと遠く行くか」
「え?」
「飯くらい、おごる。下手したら死んでたとこだし、命の恩人だろ。ただ、『特別扱い』になっちまうから、他の奴らに見つからないように遠出しないとな」
――それって……デートじゃん!
声にならず、一ノ瀬は思いっきりガッツポーズを決めた。