一ノ瀬くんのリアル 1

体育館を出た俺は、やたら眩しい気がして目を細めた。

ずっと雨が続いていたけど、今日はいい天気だ。雨が空気を奇麗にするから、雨続きの後の晴れ間は空が奇麗なんだ、と、聞いたことがある。そのせいかな。空は本当に青く、澄んでいるように見える。抜けるような青空、なんてのはこういう空のことを言うのかも。

「うぉい! 立ち止まんなよ!」

後ろから小突かれる。

「っせーな」

振り向くと、木内が立っている。

「てめえ、でかすぎて邪魔なんだよ」

冗談混じりに言う木内は身長168cm。バスケをやるにはちょっと小さい。でも、機動力とジャンプ力がある。それはすごく重要なことだ。とはいえ俺は184cm。16cmの差はかなりのものだ。

「ひがむな、ひがむな」

「るせっ」

そう言って木内は軽く俺をかわして走り出した。朝練であれだけ走ったのに、元気なやつ。一応追いかけるように走り出すと、木内が俺を振り返った。

「遅刻しても知らねえぞ。もう始業式、始まってる時間じゃん」

「入学式じゃねえの?」

「どうせ俺ら中学から持ち上がりじゃん。どっちでも同じだよ。もう、先行くぜ」

「んだよ、待てよ」

更衣室から渡り廊下を走り、校庭を抜けて講堂に飛び込む。やべえ、入学式だか始業式だかが完全に始まってる。ていうか大体終わってる? 悠長に着替えてる場合じゃなかったかも。

こそこそと列に加わり、なんとか制服の群れに紛れて息をつく。去年の担任の視線が飛んできた。

「いっちー、遅いじゃん」

中学三年ずっと同じクラスだった吉沢恭子が耳打ちした。見た目は結構可愛い感じだけど、女っぽくないっていうか、さばさばしてて付き合い安い奴だ。

「朝練だよ。一ノ瀬が遅いからさあ」

前にいた木内が振り返って囁く。

「何言ってんだよ、お前のが着替えに時間かかってたじゃん」

「どっちもどっちだね」

吉沢はくすくすと笑った。ぽってりとした唇が、笑うとなんだか尖ったようになるのが印象的だ。

「長い訓示とか聞かなくて済んで、むしろ良かったって」

「あはは、そうかもね。今年も校長先生、絶好調だったもん。かなりだるかったよ〜」

「だろ?」

「うんうん。もう、あとは新任の先生の紹介くらいじゃないかな」

「そっか」

「可愛い女の先生が来ねえかなあ」

木内はいっつもそんな事ばっかり言っている。女にモテたい気持ちは分かるけど……。

「先生が生徒を相手にするわけねえじゃん」

「そうかなあ」

「生徒かどうかってより、きうっちがどうかって問題じゃないの?」

吉沢……容赦ねえ。こういう時、女ってのは手厳しいよな。現実的ってのかもしれないけど。落ち込んでいる木内にちょっと同情し、その肩を叩いた。

「見ろよ、新任紹介だ。せいぜい期待しようぜ」

壇上に校長が立ち、その脇に新任教師が並んでいる。列の一番後ろについている俺らには顔まではよく分からないが、どう見ても男が三人。残念、女はいなかったな。

――その時、急に、耳鳴りがした。

「どしたの?」

耳を押さえて壇上を凝視する俺に、吉沢が尋ねる。

「え……いや、あの人」

校長が促し、壇上でマイクに向かった人に目が吸い寄せられていた。遠いのに、何故かどんどん視界がクリアになっていく。

「宮田さん」

「知ってる人?」

木内も吉沢も知らないはずだ。あれは俺が小学校五年の頃の話だし、その話はした事があったかもしれないけど、あの人の名前までは多分、言ったことがないだろう。

その人はスーツの襟をちょっと触り、軽く会釈すると挨拶を始めた。

「皆さん、初めまして。宮田と言います。高等部の社会科を担当します。大学を卒業したばかりですが、こうして母校で教鞭をとれるのを光栄に思っています。中高とバスケ部でしたので、何かお手伝いできれば嬉しいです。どうぞよろしく」

挨拶が終わるとまばらな拍手が起こり、その人はもう一度頭を下げた。次の人の挨拶が始まったが、俺はもう目に入らなかった。

小学五年の時、父親が受験を提案した。どうしても小学校の友達と同じ学校に行きたいってわけじゃなかったし、学校自体もあんまり好きじゃなかった。で、「自分の行きたい学校を選べ」という父親の言葉に魅力を感じて、受験することに同意したんだ。

最初に行った学校は、小学校から大学まで続いていて、中学からの受験は結構倍率が高いという話だった。俺は最初それほど気に入ってたわけでもなかったけど、見学したその日に「ここを受験しよう」と決めた。

理由は、バスケ部の試合を見たから。

父親が先生と何か話している間、俺は校内をうろついていた。賑やかな声にひかれて、ふらっと入った体育館。そこでバスケ部が試合をしていたんだ。コートを見た瞬間の、あの映像を、俺は今でも鮮やかに思い出せる。

十人の選手が入り乱れるゴール下。そこからひときわ高く飛んだのは、それほど背が高くもない選手だった。けれどゴールを外したボールを取った。誰より早く、誰より高く飛んで。そしてそこからすごい勢いで走った。反対側のゴールまで、誰にも追いつかせなかった。体育館中の人が声援を送っていたから、この学校の選手なんだって事だけは分かった。その背中に「MIYATA」の文字。彼はそのままの勢いで華麗なゴールを決めた。派手なやり方じゃなかった。でも、それはものすごく……バスケを初めて見た俺にも分かるほど無駄がなく、綺麗なゴールだった。怒涛のような歓声が上がり、俺は我に返った。「MIYATA」さんは、満面の笑みを浮かべて振り返り、小さく拳を握って見せていたっけ。

俺は小学校で将棋部に入ってた。「何でもいいから部活に入れ」って言われたから入っただけ。うちの学校では将棋はあんまり人気がなくて入りやすかった。人も少ないし、活動も少ないし、面倒じゃなさそう。だから選んだ。運動は苦手じゃなかったけど、大変そうな運動部に入ろうなんて全然思わなかった。

で、この日。俺はバスケをやろうと決めた。

「MIYATA」さんが、すごく格好良かった。理由はそれだけ。

そして、それが俺の人生を変えた。

俺もああいう風に、格好よくバスケがしたい。あの学校で。

受験するのはここ、と決め、将棋部を辞めてバスケ部に入り、猛練習した。運動を始めたせいか、成長期が来たのか、背が急に伸び始めた。中学で180を超えたのには、父親もびっくりだ。

きっと俺はバスケに合ってる。そう思った。上達するのも楽しかったし、負けて悔しいのも、練習する意味があって嬉しいとすら思えた。辛い基礎、ひたすら地味な繰り返し。でも、身についていってるんだって思った。俺はもっと、もっと上手くなる。

あ、もちろん、受験勉強はしたさ。大変だったけど、受かりたかったから。必死になってる時って、なんであんなにやれるんだろう。

でも。

合格した時は跳ね上がった俺が、バスケ部入部の時は凹んでた。だって、憧れのあの先輩は卒業してたから。

――この学校に受かって、バスケ部に入ればあの人に会える。

なんて、子供っぽい単純な考え。俺は何より自分にがっかりした。中学と高校がつながっているから会えるって思ってたんだよな。でも考えてみりゃ、かなり上の人。バスケ部の先輩に聞いたら、俺が五年のあの時に、あの人は高三だったって。

それでも俺のバスケ熱は冷めなかった。中学では県大会でベストエイトまでいったんだ。高校ではもっと上へ行きたい。そう思った。

そして、この春、高校に進学した。ってもエスカレータだから楽なもんさ。勉強もそこそこに、バスケ三昧の日々を送りたい。そう思ってたとこへ、まさかと思っていた「憧れの先輩」の出現。そりゃもう、言うことなしさ。俺の高校生活はバスケ一色だ!

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