悩み、迷う日々。合宿中は寝泊まりすら同じ屋根の下である。考えないようにするなど、到底不可能に近い。教師は宿直室で寝泊まりするので、部室で雑魚寝の一ノ瀬には、その時間だけが救いだった。
消灯時間を過ぎ、みんなが布団をかぶっておしゃべりに興じ始めたころ、一ノ瀬は一人、深い思考の底に沈みこんでいた。
「なあなあ、一ノ瀬は?」
突然、同じ二年のバスケ部員――青井が話しかけてきた。体の大きさが自慢の青井はセンター。身長は県下でも十指に入る。布団から足がはみ出るといつも嘆いていた。
「なに? 聞いてなかった」
「これだよ、一ノ瀬はいっつも〜!」
ちゃらけた声で言ったのはひょろっと背の高い平田だ。体型は縦に細長いのに名前が平田なので、変だと言われ、あだ名は「ホソダ」。最初に話しかけてきた青井とホソダは、どうやらコイバナで盛り上がっていたらしい。
ホソダのすっとんきょうな声に、周りもなんだなんだと会話に加わる。
「だからさ、好きな人がいるかって話。青井はさ、栗本なんだって。A組のさ」
ホソダが言うと、青井が大きな体を揺らした。
「ばか、言うなって! なんだよ、みんなに言うことないだろ!」
「しーっ! もう消灯時間過ぎてるぜ」
「別にいいじゃん、うるせえよ。……青井、栗本なん?」
「……」
顔を赤らめてうつむく青井は意外と純情派なようだ。お前はどうなんだよ、と、ホソダに振る。
「俺はジュリアちゃん命だもん」
「アイドルもありかよ〜!」
なーんだ、といったしらけムードが漂う。隣のクラスの、とか、下級生の、とかいった学校の誰かが対象になった方が話が盛り上がる。ホソダはむきになって大声を出した。
「好きなもんは好きなんだからいいだろ!」
「静かにしろって!」
先ほどと同じように止めに入ったのは、時間だけでなく規則にうるさい小田だ。頭脳プレイヤーで冷静なゲームメイクが売り。小言の多い母ちゃん役といったところだろうか。
「そろそろ宮ちんとか見回りに来る時間じゃないのか? 騒いでると全員廊下で正座だぜ」
「あー分かった分かった。もー小田はうるせえからなー」
「小田はいねえの? 好きなやつとか」
「アイドルなしな」
木内の念押しにホソダが睨む。小田は、いないいないと手を振った。他の部員たちにも話が回った後、最後に残ったのは一ノ瀬である。
「俺はいいよ」
ぼそっと呟く一ノ瀬をホソダがからかう。
「センパイはもててもてて困るから、自分から好きになったりせんでしょう」
「何いってんだよ、もう……やめろよ」
「今は二股かけてたりしねえの?」
青井の問いに一ノ瀬は黙って首を振った。
「誰とも付き合ってない。いいんだ、今はバスケだけだから」
何気ない調子でしゃべってはいるが、その目の奥に苦しさがうかがえる。木内は話題を変えようと苦心した。
「そういやさ、こないだテレビでさ……」
「木内、空気読めよ、今はコイバナだろー」
――お前が読めっつうの。一ノ瀬はその話したくねえんだよ。
そう思った心の内を口にすることはできず、木内は黙って気を揉んだ。一ノ瀬と目が合う。
――わりぃ。
――いいよ。
そんな会話が視線だけで交わされる。
「いっちのっせく〜ん! 好きなひと、いないんですかぁ〜?」
「言っちゃえ言っちゃえ!」
「アイドルなし!」
「だから!」
「ホソダは黙ってろって」
「一ノ瀬、ほら!」
みんながやいやいと騒ぎたて、一ノ瀬はうんざりしてきた。
「分かったよ」
「おおっ!」
「誰、誰!? 俺らの知ってるやつだろうな!」
「いや。ちょっとした知り合いの人で、今年三十七、バツイチで二人の子持ち、今は再婚相手の暴力に悩んでるんだ」
思わず誰もが口をつぐむ。
「うっそ。んなわけねえじゃん、本気にすんなって。……ちょっと俺、トイレね」
さっさと立ち上がっていく一ノ瀬に誰も声をかけられない。呆然とする部員たちの中で木内は一人にまにましていた。
――やるなぁ、一ノ瀬。
――どうしよ、っかな……。
すぐに戻って蒸し返されても嫌だし、少しどこかで時間を潰したい。
――そういえば、先生、見回り来ないな。
消灯時間は三十分ほど回っている。
――どうしたんだろ。
一ノ瀬の足は自然と宿直室へ向かっていた。
――怒られるかな。てゆーか行ってどうするつもりなんだ、俺。
嘆息して、立ち止まる。踵を返し、うつむき、もう一度息を吐き出す。
――迷惑、だよ、なあ……。
バスケをしている時は、思い切ったプレイができる。一ノ瀬は攻撃的なプレイが好きだ。どんどん攻めていく。外れるとしても、チャンスがあるならシュートする。外れても誰かがリバウンドを取ってくれるかもしれない。たとえ点が取れなくても、また入れればいい。点を取られても、取り返す。
だが、相手が宮田になるとそうはいかなかった。何度も振り向いては戻り、ちょっと歩いては立ち止まり……一ノ瀬はしばらく逡巡した。