一ノ瀬くんのリアル 15

「ぼさぼさすんじゃねえ、さっさと戻れ! ……遅ぇぞっ!」

「……!」

「返事はどうしたぁ!」

「は……はいっ!」

宮田の尖った声が飛び、いくつものバッシュが体育館の床を鳴らす。きゅきゅっというあの特有の音がいくつも重なった。

一年生たちは、もう十日も続いている練習に辟易していた。いくらバスケが好きでも、強くなりたいと思っていても、これだけ練習が続くと辛い。息は上がり、体は痛み、目まいすら覚える。こういう練習は本当に意味があるのだろうか。

そう思っているのは一年だけではない。むしろ二年のメイン選手や、数少ない三年の部員の方がおかしいと感じていた。去年までと明らかに違う練習量。今年の一学期から、コーチは変わった。

「おらぁ! お前らその程度か!? ボール見ろ! 走れ! 次、スクエアパス! いくぞ、早くしろっ」

それでも、試合形式の練習なら楽しみもある。だが、ストレッチやランニングなどで体を温めた後は、基礎練習としてひたすらフットワークやパス練習が続く。同じことを繰り返し、叱責されてばかりいれば士気が下がるのも当然だった。集中力が落ち、ミスが重なる。するとまた叱り飛ばされる。

――いい加減にしてくれ……。

声に出して言う余裕もなく、また言わせてもらえる隙もなく、部員たちはひたすらボールを追い、走り、汗を散らす。だが、オーバーワークじゃないかとも思えるほどの練習に、一人だけ平気な顔でついていく者がいた。一ノ瀬である。

「次っ!」

「はい!」

もちろん息は切れているが、その動きは他の部員と比べ物にならない。休憩時間や帰り道でも文句一つ言わず、ただみんなの話を聞くだけだ。

「そりゃあさあ」

今日も部員たちはいつものラーメン屋でぼやいていた。

「俺だって、強くはなりてえよ? 今より上のクラスに行きたいって思ってるぜ? だけど、ありゃねえよ。おじいちゃん先生がいないからって飛ばし過ぎ」

「おじいちゃん先生〜! 研修だか学会だか知らないけど、早く帰ってきてくださ〜い!」

「俺、もう宮ちんについていけねえ」

「宮ちん、どーしちゃったのかな。なんか嫌なことでもあったんかな」

「つーか、それで俺らに当たってるってひどくね? あー俺……もう部活、辞めよっかなー」

「うっそ、マジで?」

「だってさー……。なんかもっとこーさー、楽しくバスケやりたいじゃん?」

「まあなあ……」

溜息がいくつも吐き出される。ふと木内は黙ってラーメンをすする一ノ瀬に目をやった。無表情で箸を口へ運ぶ姿を見ていると、まるで一ノ瀬がそこにいないように感じる。

――何、考えてんだか。

「なあおい、一ノ瀬もそう思わねえ? 最近いっつも黙ってるけどさ。つーかなんでそんな真面目にやってんの? お前だけだよ文句言わねえの」

同級生たちが一ノ瀬の無言に腹を立てたように言う。

「そうだよ〜。おかしくね? バスケマシーンじゃねんだからさー」

「バスケマシン! 上手いこと言うじゃん、確かに機械っぽいよな、一ノ瀬はさ」

「そんな好きかよ、バスケ。なあなあ」

同級生たちの声をうざったそうに振り払い、一ノ瀬は前髪をかきあげ「別に」と呟いた。

「別にとか言って意味わかんね! じゃあなんでやってんだっつーの」

「俺なんかもうバスケ嫌いになりそうだぜー」

「楽しくねえもんなあ」

「辞めたくなってきたよな、マジで」

そうそう、とうなずきあう同級生たちを一瞥し、一ノ瀬はその目をきつくした。

「……じゃ、辞めれば?」

「あん?」

一ノ瀬は食べ終わった丼を机に置き、同級生たちを正面に見据えて言い放った。

「嫌ならこんなとこでブツブツ言ってんじゃねえよ。コーチに文句あんならコーチに言ってこいよ」

「一ノ瀬、どうしたのお前。そんな熱くなっちゃってぇ」

「こう言っちゃなんだけど、たかが学校の部活じゃんよー」

へらへらと受け流そうとする同級生たちは、無意識に場を和ませようとしただけだったのかもしれない。それが逆に一ノ瀬の逆鱗に触れたのだが、一ノ瀬はそれでも熱くはなりきれない自分にうんざりしていた。

「たかが部活か。確かにな。たかが高校の部活だもんな」

そう言うと、鞄をつかんで立ち上がる。

「おい一ノ瀬」

不穏な空気を感じたのか、木内が立ち上がりかけたが、一ノ瀬はそれすら無視して店を出ていく。

「あいつ、どうしちゃったの? 最近」

「おかしいよなあ」

「ある意味、宮ちんより変じゃねえ?」

木内を含めた同級生たちは顔を見合わせた。去年までの一ノ瀬であれば、熱くなってバスケ論を展開しそうなものだ。だが最近はいつもこういう感じで、議論を吹っ掛けても受け流し、からかっても無視するだけ。

「なんかさー……一ノ瀬がああだと盛り上がらねえよなあ」

「夏の大会、大丈夫なんかな」

「まあそれはいいんじゃん? 部活中はすんげえじゃん、あいつ」

「そーそー、鬼気迫るって感じだよな! 宮ちんについてってんの、あいつ一人だもん」

「宮田教っつーか」

「ウケる! 信者かよ!」

会話の中心から笑いが起こったが、木内は笑えずにいる。一ノ瀬の心を掴み損ねているとはいえ、それでもその中で一番理解しているのは木内だ。

「本当にあいつ、大丈夫かな」

木内の呟きが同級生たちの笑いを止める。

「何、あいつマジで何か悩んでんの?」

「確かにここんとこ変だけど……」

「木内、何か知ってんだったら話せよ」

「いや……」

木内は言葉を濁し、一ノ瀬のことだから自分からは言えないと断った。

「なんだよ、気になるじゃん」

「信用ねえのなー、俺ら」

口々に不満を漏らす同級生たちに、木内は両手を振って否定する。

「や、そういうんじゃねえって。ただ一ノ瀬のいないとこで話すこっちゃないってだけだよ」

部員同士で揉めたくはない。一ノ瀬に対する信頼を失墜させたくもない。木内は極力明るい調子で否定した。

「ホント、信用とかそういう話じゃないから。大丈夫だよ」

そう言いながら、木内は一ノ瀬が心配で仕方がなかった。

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