「ぼさぼさすんじゃねえ、さっさと戻れ! ……遅ぇぞっ!」
「……!」
「返事はどうしたぁ!」
「は……はいっ!」
宮田の尖った声が飛び、いくつものバッシュが体育館の床を鳴らす。きゅきゅっというあの特有の音がいくつも重なった。
一年生たちは、もう十日も続いている練習に辟易していた。いくらバスケが好きでも、強くなりたいと思っていても、これだけ練習が続くと辛い。息は上がり、体は痛み、目まいすら覚える。こういう練習は本当に意味があるのだろうか。
そう思っているのは一年だけではない。むしろ二年のメイン選手や、数少ない三年の部員の方がおかしいと感じていた。去年までと明らかに違う練習量。今年の一学期から、コーチは変わった。
「おらぁ! お前らその程度か!? ボール見ろ! 走れ! 次、スクエアパス! いくぞ、早くしろっ」
それでも、試合形式の練習なら楽しみもある。だが、ストレッチやランニングなどで体を温めた後は、基礎練習としてひたすらフットワークやパス練習が続く。同じことを繰り返し、叱責されてばかりいれば士気が下がるのも当然だった。集中力が落ち、ミスが重なる。するとまた叱り飛ばされる。
――いい加減にしてくれ……。
声に出して言う余裕もなく、また言わせてもらえる隙もなく、部員たちはひたすらボールを追い、走り、汗を散らす。だが、オーバーワークじゃないかとも思えるほどの練習に、一人だけ平気な顔でついていく者がいた。一ノ瀬である。
「次っ!」
「はい!」
もちろん息は切れているが、その動きは他の部員と比べ物にならない。休憩時間や帰り道でも文句一つ言わず、ただみんなの話を聞くだけだ。
「そりゃあさあ」
今日も部員たちはいつものラーメン屋でぼやいていた。
「俺だって、強くはなりてえよ? 今より上のクラスに行きたいって思ってるぜ? だけど、ありゃねえよ。おじいちゃん先生がいないからって飛ばし過ぎ」
「おじいちゃん先生〜! 研修だか学会だか知らないけど、早く帰ってきてくださ〜い!」
「俺、もう宮ちんについていけねえ」
「宮ちん、どーしちゃったのかな。なんか嫌なことでもあったんかな」
「つーか、それで俺らに当たってるってひどくね? あー俺……もう部活、辞めよっかなー」
「うっそ、マジで?」
「だってさー……。なんかもっとこーさー、楽しくバスケやりたいじゃん?」
「まあなあ……」
溜息がいくつも吐き出される。ふと木内は黙ってラーメンをすする一ノ瀬に目をやった。無表情で箸を口へ運ぶ姿を見ていると、まるで一ノ瀬がそこにいないように感じる。
――何、考えてんだか。
「なあおい、一ノ瀬もそう思わねえ? 最近いっつも黙ってるけどさ。つーかなんでそんな真面目にやってんの? お前だけだよ文句言わねえの」
同級生たちが一ノ瀬の無言に腹を立てたように言う。
「そうだよ〜。おかしくね? バスケマシーンじゃねんだからさー」
「バスケマシン! 上手いこと言うじゃん、確かに機械っぽいよな、一ノ瀬はさ」
「そんな好きかよ、バスケ。なあなあ」
同級生たちの声をうざったそうに振り払い、一ノ瀬は前髪をかきあげ「別に」と呟いた。
「別にとか言って意味わかんね! じゃあなんでやってんだっつーの」
「俺なんかもうバスケ嫌いになりそうだぜー」
「楽しくねえもんなあ」
「辞めたくなってきたよな、マジで」
そうそう、とうなずきあう同級生たちを一瞥し、一ノ瀬はその目をきつくした。
「……じゃ、辞めれば?」
「あん?」
一ノ瀬は食べ終わった丼を机に置き、同級生たちを正面に見据えて言い放った。
「嫌ならこんなとこでブツブツ言ってんじゃねえよ。コーチに文句あんならコーチに言ってこいよ」
「一ノ瀬、どうしたのお前。そんな熱くなっちゃってぇ」
「こう言っちゃなんだけど、たかが学校の部活じゃんよー」
へらへらと受け流そうとする同級生たちは、無意識に場を和ませようとしただけだったのかもしれない。それが逆に一ノ瀬の逆鱗に触れたのだが、一ノ瀬はそれでも熱くはなりきれない自分にうんざりしていた。
「たかが部活か。確かにな。たかが高校の部活だもんな」
そう言うと、鞄をつかんで立ち上がる。
「おい一ノ瀬」
不穏な空気を感じたのか、木内が立ち上がりかけたが、一ノ瀬はそれすら無視して店を出ていく。
「あいつ、どうしちゃったの? 最近」
「おかしいよなあ」
「ある意味、宮ちんより変じゃねえ?」
木内を含めた同級生たちは顔を見合わせた。去年までの一ノ瀬であれば、熱くなってバスケ論を展開しそうなものだ。だが最近はいつもこういう感じで、議論を吹っ掛けても受け流し、からかっても無視するだけ。
「なんかさー……一ノ瀬がああだと盛り上がらねえよなあ」
「夏の大会、大丈夫なんかな」
「まあそれはいいんじゃん? 部活中はすんげえじゃん、あいつ」
「そーそー、鬼気迫るって感じだよな! 宮ちんについてってんの、あいつ一人だもん」
「宮田教っつーか」
「ウケる! 信者かよ!」
会話の中心から笑いが起こったが、木内は笑えずにいる。一ノ瀬の心を掴み損ねているとはいえ、それでもその中で一番理解しているのは木内だ。
「本当にあいつ、大丈夫かな」
木内の呟きが同級生たちの笑いを止める。
「何、あいつマジで何か悩んでんの?」
「確かにここんとこ変だけど……」
「木内、何か知ってんだったら話せよ」
「いや……」
木内は言葉を濁し、一ノ瀬のことだから自分からは言えないと断った。
「なんだよ、気になるじゃん」
「信用ねえのなー、俺ら」
口々に不満を漏らす同級生たちに、木内は両手を振って否定する。
「や、そういうんじゃねえって。ただ一ノ瀬のいないとこで話すこっちゃないってだけだよ」
部員同士で揉めたくはない。一ノ瀬に対する信頼を失墜させたくもない。木内は極力明るい調子で否定した。
「ホント、信用とかそういう話じゃないから。大丈夫だよ」
そう言いながら、木内は一ノ瀬が心配で仕方がなかった。