その後、おじいちゃん先生が帰ってきたからか、また部員たちからの直訴があったからか、宮田の不条理とも思えるしごきは少し控え目になった。
「確かに、行きすぎた面もあった。だが、お前たちは鍛えればもっと強くなる。俺はそう思ってる。今のままでも楽しいかもしれない。でももっと上がある。お前たちなら行ける。もったいないよ。もっと上へ行こう。俺が連れていってやる」
宮田らしい、自信にあふれた言葉。そんな言葉を聞いた部員たちは、考えを変えたのだった。
急に力を入れた始めた仲間を、一ノ瀬はクールな目つきで見ていた。彼自身は今まで通りバスケに夢中だった。少なくとも、夢中であろうと最大限に努力をしていた。
そして、夏。
大会の順位は前年よりぐっと上がった。宮田の特訓が功を奏したのかどうかは分からないが、二年の木内や一ノ瀬の活躍が目立ったのは間違いのないところだ。部員たちは宮田を見直し、おじいちゃん先生もその指導力を褒めた。
試合で勝つと言うのは何にもまして嬉しいことだ。あの耐え難かった練習。重ねた辛い日々。だがそれすら忘れてしまうほど、目の前の勝利という二文字が部員たちを酔わせるのだろう。
だが、一ノ瀬だけは違っていた。
――あんなに練習しても、試合に勝っても、なんで俺、アツクないんだろう。
これ以上ないと言うほど、集中した。目の前の宮田をコーチ以外の何物とも思わず、バスケのことだけを考え、ただひたすら打ち込んできた。汗を流し、頭をからっぽにして。そうして勝ち取った試合。それはもう何とも言えない快感を一ノ瀬にもたらした。
けれど、コートから出る前に、その熱が冷めていくのを一ノ瀬は自身の体で感じていた。試合場に、冷たい隙間風が吹いているのかと、指先がかじかんでいるのかとすら思った。試合直後で、頭から足の先まで熱いはずなのに――。
「最高だな!」
木内の言葉が機械のように変な音で聞こえる。周りの部員たちの話し声や歓喜の声も、なぜか良く聞こえない。周囲があっという間に色褪せていく。急に足元のコートが沈み、ぽっかりと大きな黒い穴に吸い込まれる気がして、一ノ瀬はぞっとした。思わず隣の木内の肩を掴む。嬉しそうな顔で振り向く木内が遠くなっていく気がして、さらに恐ろしくなる。
「お前ら、やったな!」
だがその声が耳に届いた瞬間、ふいに世界は色と音を取り戻した。体が周囲の様々な音に驚いたように跳ね上がる。どくん、と、自身の心臓の音が聞こえた。
「どしたん、一ノ瀬」
木内が怪訝そうな顔で覗きこんでいる。だが、一ノ瀬の視線は木内を通り越し、ベンチの前に立ちあがった宮田の顔を捉えて離さなかった。
「先生……」
「こんな強豪にまで勝つとはやってくれるじゃないか! 鍛えた甲斐があったぜ。本当によくやったな!」
宮田は部員たちとハイタッチを交わしたり、肩をたたいたりしている。一ノ瀬は木内や他の部員の勢いにつられ、その波に乗った。宮田の手が体に触れる。筋肉が固く緊張していることが、どうか気づかれませんように……。
大勢と揉み合う中で、そんなことが相手に分かるわけもない。だが一ノ瀬はそれを切に祈った。頭が熱い。体が熱い。宮田のそばにいるだけで、こんなにも。
――ちくしょう……!
バスケットで熱くなりたかった。いや、宮田以外なら何でも良かった。なのに――。
合宿が始まると、彼らはより一層練習に熱を出した。
宮田の厳しい声にも、もはやだれもへこたれはしない。むしろその声より大きな返事が体育館に響いていた。
レギュラー陣は一年と二年。数少ない三年は指導に回っている。夏の大会とほぼ同じメンバーでこれから一年を戦える。それは部員たちの絆を強めるだろう。宮田は、おじいちゃん先生と相談して練習量を調整した。そんな宮田とも一致団結して、彼らはますます強くなっていった。
一ノ瀬も、より一層身を入れようと必死になっていた。宮田を意識しないでいるのが難しい。それを宮田に気づかせないようにするのは、もっと難しい。きっと、気づいている。だが、無視しているのだ。
春先の図書館で、「お前が嫌いだ」と言った宮田を思い出す。冷たい声だった。けれど、明るい窓を背にしていて、表情は見えなかった。きっと、あれは宮田の優しさだ。生徒を好きになったりしない。優しくする方がひどい。そうも言っていた宮田だ。あれは一ノ瀬が悩まないように、切り捨てることで別の方向を向けるように、気を使った言葉だったんだろう。
言われた瞬間はその冷たさに体が凍りついたけど、今ではそれが分かる。だからこそ……一ノ瀬は今でも宮田を忘れられないでいるのだ。もちろん、それを宮田に知らせないようにしたい。そのことが余計に辛いのだけど。
本当に嫌われてしまいたい。
嫌いになってほしくない。
いや、どちらでも同じだ。もし本気で嫌われているとしても、きっと諦められない。そして、その想いを口にすることもない。この辛さに変わりはない。
――どうしたらいいんだ。