「おい、今日もかよ」
「まさか」
「仲良いのって木内だよな、なんか聞いてないのかよ」
「いや、俺は何も……」
視線を落とし、木内は部員たちからの詮索を逃げた。一ノ瀬が無断で部活を休むのはこれで三回連続である。木内は昼休みに一ノ瀬と話し、今日は絶対来いと言った。だが、放課後の教室から一ノ瀬は早々に姿を消し、部活には現れなかった。
「ほら、とにかく集中! 練習始めるぞ!」
部員たちはコーチである宮田の号令に従ってストレッチを始める。宮田が嘆息していると、おじいちゃん先生が呟いた。
「何があったんだろうねえ」
宮田の頭に、先日の朝のことがよぎる。まだ誰にも言ってはいなかった。だが実際にこうして部活に出てこないとなると、あれは本気の言葉だったのだろうか。
「学校には来ているのかな?」
「担任は高石先生でしたよね。後で聞いてみます」
練習後、宮田は一ノ瀬のクラス担任である高石を捕まえた。五十過ぎの高石は腕を組んで唇を歪めた。
「一ノ瀬? 授業には出てるぞ?」
「そうですか……。何か問題があったとか、悩んでいる風だとか、そういう兆候はありませんか?」
「さあなあ。俺の見ている限りでは特にないと思うけどな。成績は決して良い方じゃないが、一学期は及第だし、クラスの仲間とも良くしゃべっている方だな。特に問題があるような態度は見受けられない。部活を休んでいるんだって?」
「そうなんです」
「部内に問題があるんじゃないのか」
「い、いや、これといってないと思うんですが……」
「同じクラスでは……木内が一緒だったな?」
「ええ。木内には話を聞いたんですが、やはり原因は分からないようで」
高石はクラス名簿を見ながら何かを確認した。
「あと、吉沢という女生徒が」
「吉沢?」
「分かるか? 割と背の高い……こう、前髪がちょっと長くて、軽くパーマがかかってる感じの……」
「あ! 時々練習が終わるのを待っていた子かな」
「木内と三人でしゃべっているのを良く見かけるよ。もしかしたら何か知っているかもな」
「分かりました、ちょっと当ってみます。ありがとうございました」
そう言って頭を下げる。担任は、もし何か問題があるようならまた相談してくれ、と言って去った。その言葉に宮田は安心感を覚えた。が、何故か胸中の不安を消しさる事は出来なかった。
――何が原因なんだ。
学校には毎日来ていて、授業も受けている。休んだのは部活だけ。部員たちは誰も何も知らないと言うが、恐らく、部で何かがあったのだろう。木内は多くを語らなかった。何かを知っているようにも見えるが、何も知らないから気まずいというようにも見える態度。
――別の角度から攻めてみるのもいいか。
その日の夜、宮田は吉沢の家に電話をかけた。
「お電話変わりました。吉沢ですけど」
「ああ、急に悪い。ちょっと聞きたいことがあって……」
「いっちーの事ですか?」
「ああ、えっと一ノ瀬の」
「ですよね。やっぱり。そうだと思った」
「え……」
「アイツ、部活休んでるでしょ。だからきっと先生が心配するって言ったんですけど、行きたくない、って」
「一ノ瀬とはよく話すのか?」
「んー……はい、そうですね。ていうか、いっちーも色々悩んでて……。夏休みくらいから、相談に乗ってるんです」
そういえば夏休み中、街で一度見かけた記憶がある。女の子連れだったからデートかと思い、声をかけなかった。あれが吉沢だったのかも知れない。
「突然部活を休み始めて、それも無断だから、何がなんだか全然分からないんだ。一ノ瀬の悩み、教えてくれないか」
受話器からは沈黙しか流れてこない。直接的過ぎたかと少し後悔する。だが、吉沢の無言の意味が本当に分かっていたわけではない。宮田は少し焦った。しばしあって、吉沢は何かを考えるようにゆっくりと言った。
「少し、時間を置いた方がいいかも」
「というと……?」
「いっちーの悩み、知ってます。けど……いっちーの事だから、私からは話せません。どうしても知りたいなら本人に聞いて下さい。でも多分、今は無理かな。バスケはやりたいみたいだから……きっとその内、部活にも行くと思います」
「けどな……」
「先生」
練習に出てこないとその分を取り返すのが辛くなる。大変なのは本人だ。そう続けようとした俺は、吉沢の鋭い声に制止されて息を呑んだ。
「いっちーは、苦しんでるんです」
「……」
「部員の人の気持ちとか、先生たちの心配とかも、分かるんですけど……あんまり、急がないで下さい。今は、無理させるの、良くないと思います。……いっちーは私の大切な……友達だし……」
立場としては教師でも、宮田は大学を出たばかりだ。生徒の扱いには慣れていない。声を詰まらせる吉沢に、何と言えばいいのか分からず口をつぐんだ。
「私……実は、その、いっちーと……付き合ってたんです。でも、別れました」
「そ、そうだったのか」
「でも、嫌いで別れたんじゃないし、今でも好きです」
突如として、一ノ瀬ではなく吉沢の話が展開し、宮田の頭はさらに混乱した。だが、吉沢も大事な生徒だ。ともかく黙って話を聞く。吉沢はぽつりぽつりと言葉を繋げた。
「私、いっちーが好きなんです。ずっと、バスケやってるいっちーが好きでした。私も、このままいっちーに辞めてほしくないです。楽しくバスケやってほしい。……でも、今のままじゃ、私じゃ無理なんです。いっちーの支えにはなりたいけど……なれない」
「別れても、友達はやめるわけじゃないだろ? それとも友達でもいられないか?」
「友達は友達です。だけど」
「教師の俺とかより、吉沢の方がずっと一ノ瀬の近くにいると思うよ」
「……」
「俺は、教師とは言えまだ日も浅いし、お前たちのことも、正直に言ってよく知らない。無責任なことを言うのはいけないと思うが……でも、吉沢が一ノ瀬の力になってやれると思うなら、俺は応援するよ」
「……先生、待って! あのね……!」
吉沢の、切羽詰まった声。恐らく、何かを告白しようとしている。だが宮田はそれを聞かないことにした。
「一ノ瀬のことは、お前に任せた。俺たちは焦らないで待つことにするよ。何かあったらいつでも相談してくれていいから」
それだけを言い、吉沢の沈黙を二秒待って受話器を置く。きっと、これでいいんだろう。宮田はそう自分に言い聞かせた。